●名寄地域のもち米の特徴
名寄地域ではみなさんが毎日食する「うるち米」と「もち米」で、主にもち米を生産しております。名寄地域の中でも稲作をしている地域は、風連地区と名寄地区です。
名寄地区がもち米栽培に着手したのは昭和45年(1970年)の事です。当時この稲作の北限地帯は、厳しい気象条件下でのうるち米栽培に行き詰まりを感じていました。そこで八人の稲作研究会がもち米栽培の検討を始め、次いで生産組合を立ち上げました。昭和54年(1979年)にはすべての田をもち米に切り替え、道内でもいち早く団地化を進めたのであります。
風連地区は主にうるち米を作付けしていましたが、昭和56年(1981年)に風連町もち組合が設立し、昭和59年(1984年)に「もち米の生産団地指定」が実現、加速度的にもち米の作付けが増えました。昭和62年にはもち米の水張り面積がうるち米を上回り、当時の単独農協単位では全国一のもち米作付面積を誇るところとなり「日本一のもち米生産団地」として話題になりました。しかし、その間には価格保障の問題からもち米の作付け抑制が行われ、止むを得ずうるち米や畑作に転じなければならない苦労もあったのです。
北海道を含め全国にはもち米の生産団地が数多くありますが、その中でも全国一のもち米生産団地であり、味・品質ともに好評で、本州産の品種と比べて、柔らかくて、すぐに固くならないので、お菓子に加工されたり、地元の酒「ゆきわらべ」に利用されたりと大活躍です!その品質の高さから関西伊勢名物で有名な「赤福」の原料に指定されています。三重県の伊勢神宮に行かれた方は大半の方が目にしているのではないでしょうか。九州福岡県で有名な* 「もち吉のあられ」にも使用されております。その他にも大手コンビニエンスストアやファーストフードの食品に採用されるなど、そのおいしさは全国に広まっております。
農家はこの地域にもち米を定着させる前、そして一大もち米生産団地に成長した後も水や肥料、病害虫など様々な栽培管理を研究しました。そして、出来上がった米は伊勢の赤福に使用されるようになり評判を呼び全国に消費されるようになりました。大事に育てられた米は* 『ゆきわらべ雪中蔵』で大切に管理され、さらに併設された玄米集出荷施設と併せて米質の均一化と安定供給を実現しています。